ランナーは一体どれだけ走ったら満足するのだろうか

 

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「走った距離は裏切らない」のか。

それとも裏切るのか。

一方で「走りの質を上げれば距離はいらない」のか。
やっぱり走り込みは必要なのか。
 
この相反する2つの命題は永遠に平行線をたどるだろう。
なぜならこの両者が追い求めている「距離」も「質」も結果だから。
「本質」次第では目標は達成されもするし、失敗もするだろうから。
 
大切なのは自分のカラダとの対話とそのフィードバックであり、
それが「本質」だから。
 
最新のランニングウォッチをして1kmごとのラップタイム、スピードの増減をリアルタイムに知り、数値を目標に揃える為にペースをコントロールする行為の中に自分のカラダとの対話があるだろうか。
 
月間走行距離に届かせるためにGPSの知らせる走行距離へ帳尻わせの月末長距離走や、不足分の距離合わせのために数百メートルだけでも走る行為の中に自分のカラダとの対話が存在するのだろうか。
 
SNSにあふれかえるランニング武勇伝へのルサンチマンで走ったり、自己の承認欲求を満たすためだけのワークアウトの中に自分のカラダとの対話が入り込む余地があるだろうか。
 
カラダとの対話をないがしろにした後には必ずケガやスランプが待ち受けている。
 
走るという行為の純粋さシンプルさを取り戻さなければならない。
そういう時期にさしかかっているのかもしれない。