裸足賛歌〜全日本裸足ラン選手権〜
人間の足は本当によくできている。
裸足で野山を1時間半休まず疾走しても足裏はなにも起こらない。
シューズって一体なんのためにあるのだろうか。
こんなに素晴らしい足を閉じ込めてまでして、
わたしたち人間は何を求め、どこに行こうしているのだろうか。
第4回飯能ベアフットマラソン、全日本裸足ラン選手権に4回連続参加してきた。
昨年と同じ18kmの部に参戦して、昨年よりタイムを約26分短縮した。
2時間弱のタイムからのこれだけの進化。
まだまだ伸びしろを感じる走りだった。
一夜明けた今日も身体のどこもなんともない。
すこぶる好調だ。
こどもたちの裸足の走り。
最初はシューズで走ろうとしたこどもたちも、自然と裸足になってスタート。
こどもの裸足ラン。その汚れのない、無垢なランニンフォームは、
いつ見てもこころが洗われる思いがするのはなぜだろう。
彼らはわたしたちが捨て去ってしまった何かをまだ持っている。
裸足で野山を走るといつもいろいろなことが頭を巡る。
夏休みセミやカブトムシやクワガタを捕まえに山に入ったこと。
ともだちと秘密基地を作ったこと。
木登りをしたこと。
探検して栗拾いにいったこと。
ハチに刺されたこと。
激しいアップダウンに心肺が弾み、
ぬかるみに足をとられたり、
時にがれた場所を通過したり、
身体はどんどん追い込まれていってるけれど、
頭の中は静まり、かえってシンプルになり、ミニマルになり、
どんどん童心に戻ってゆく心地よい時間が流れる。
全日本裸足ラン選手権の序盤6、7人の先頭集団のパックで走ってたとき泥濘に突っ込んだり、激下りを駆け下りたり、折り返して他のランナーとすれ違ったりするたび自然発生的に意味不明の奇声をあげて走った。あの感じ、最高だったな。裸足で山を走るテンションでなければただの半狂乱w
— man@7/24富士登山競走(山頂) (@man10000) 2015, 5月 18
トレイルを走ってて局面がガラリと変わった時に、自然にカラダの真底からわきあがる感情とそれに伴う非言語的な声を止めてはならない。それが出なくなるほど速く走ってはいけない、追い込んではいけない。
— man@7/24富士登山競走(山頂) (@man10000) 2015, 5月 18
ランナー同士すれ違う時の「ナイスラン!」「がんばれ!」「ファイト!」とかいう言語的なコミュニケーションよりも、奇声、とか意味不明な原始人語?!wとか拍手とかハイタッチとかの非言語的なコミュニケーションのほうがテンションが上がって伝わりやすい気がした。
— man@7/24富士登山競走(山頂) (@man10000) 2015, 5月 18
原始人が裏声とか巻き舌とかで奇声をあげながら森の中を裸足で槍もって疾走するステレオタイプなイメージ。
あの奇声ってトレイルランニングにおいてめちゃくちゃ重要な行為なのかもしれない。
— man@7/24富士登山競走(山頂) (@man10000) 2015, 5月 18
裸足トレイルは、人を素直にする。
普段はかんじがらめに抑圧されてるもの、
世間体、空気、法律、ルール、etc、etc
身体のDNAの底から湧き上がるプリミティブなほとばしる声で解き放ったそのとき、
裸足ランニングは、大地を流れる雲のように加速する。
生まれて初めて裸足で10kmを走って優勝した12歳の長男が
「2周目は地面に足がついている感覚がなかった」と。
この境地に達すれば、もはやどんなシューズも不要だ。