裸足で人は200km走れるのか
ドロップを決意。タクシーに乗り込み、もう走らなくてもいいという安堵のため息とともに、車窓からよろばいうめきながらも走り続けている仲間のランナーをぼんやりと眺める。あの感じ。死んだ時に見る光景ってこんな感じなんだろうな。
— man@3/3,4小江戸大江戸 (@man10000) 2018年3月5日
超ウルトラマラソンは人生そのもの。ベタすぎるけどね。信号無視するも人生。ロストするも人生。誰にも声かけず黙々と走るも人生。誰かとつるんで並走するも人生。誰かに追われるも追いかけるも人生。緩急好悪あるのが人生。
— man@3/3,4小江戸大江戸 (@man10000) 2018年3月5日
今年の小江戸大江戸の長い旅は道半ばで終わった。
自己ベストの100kmを超える裸足200kmに挑戦する長い旅。
5年連続5回目の小江戸大江戸200k。
2度目のチャレンジは88km地点の落合橋で足裏から血が滲み裸足続行を断念した。
その後man3DALsを履いて完走を目指したが160km、100マイルを越えたところで歩くこともままならないどうにもいなすことのできない脚の痛みからレースをリタイアした。
裸足初回チャレンジで達成した裸足自己最長100kmを超えるという目標も達成できず、
その後サンダルを履いてもリタイア(初回チャレンジでは完走)の敗北…
裸足原理主義者のはしくれとしての矜持は無残に打ち砕かれた。
しかし心のうちは不思議なほどさばさばしていた。
DNFだけど全く悲壮感はない。出し切った。たのしみ尽くした。思い出すだけで楽しくなる。このラップと順位変動。小江戸、大江戸、200k、最低でも過半数のランナーと遭遇し挨拶を交わした気がする。願わくば後50kmまくりたかったが足脚の限界だった。 pic.twitter.com/WYCwy4COKr
— man@3/3,4小江戸大江戸 (@man10000) 2018年3月4日
この3年、リベンジの為裸足の鍛錬を積んできた。
ハセツネ裸足完走
富士登山競走山頂コース裸足完走
本気で200km裸足で完踏成功させるつもりの満を持してのチャレンジだった。
しかし全く届かなかった現実と現状を分析してみたい。
レース前半、小江戸、埼玉県北部の歩道の路面状況は酷悪だ。
砂利道もあり、ガレ舗装もあり。
都内の歩道のように安心して足に全荷重をかけて地面反力をもらえるような舗装は皆無に等しい。
一見なめらかなベルベット舗装でもその上にはアスファルトと同色の小さな小砂利がまぶされている。どんなに動体視力を鍛えても決して避けきることはできない。
一度そいつを踏み抜くと皮下出血は必至。
寸止めで素早く足を引き上げるあたかも水上を走る術のような接地、
それがダメージを唯一回避できるというシチュエーションだ。
これが延々60km近く断続する。
夜になるとライトに照らし出されその小石は凶悪不気味に影を伸ばす。
一部の裸足ランナーの間ではこれを撒菱(マキビシ)と呼んで
ガレた舗装よりも恐れられている。
忍者が用いる道具のひとつ。逃げる途中にばら撒くことで追手に怪我を負わせる、またはそれを踏まないようにするために追手の速度を落とさせる効果がある。
撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱撒菱
— man@3/3,4小江戸大江戸 (@man10000) 2018年3月3日
レース中にこんなツイートをするほど延々とそれは続く。
まだ 土の上にある小石ならいい。
恐るるに足らない。
なぜなら踏んでもその石は土の中にめり込むことで、足裏にめり込む破壊力を相殺してくれるからだ。
しかしアスファルトの小砂利はそのままダイレクトに足裏を蝕む。
ガレた舗装も凸凹が多い分、点にかかる圧は分散される。
しかし硬く平らなアスファルト上に散らばる「マキビシ」は違う。
その一点にすべての圧が集中するからだ。
これらは全て3年前の初挑戦の時に同じコースで経験済みであった想定内のこと。
それでも再度挑戦したのは富士山の溶岩やハセツネのガレ場やイガ栗を踏むことで身につけたスキルへの矜持からに他ならなかった。
しかしそれらでは全く歯が立たなかった。
昔ベアフットテッドが来日して駒沢公園で裸足ランニング教室を開催した時に、コンクリートの上に砂利が転がるサーフェースを彼に走ってもらうという意地悪な企画があってまあ、普通に走ったんだけど「自然界にないシチュエーションだから嫌いだ」のコメントが裸足を知る程に深まる通奏低音。
— man@3/3,4小江戸大江戸 (@man10000) 2018年3月6日
結論。
自然界に存在しない人工的なシチュエーションにおいては
裸足が発揮できるチカラは限定的になってしまうということ。
富士登山競走での中茶屋、馬返し間の荒れた舗装、
ハセツネの御嶽山からゴールまで続く過剰にゴム底シューズの為に整備された人工トレイルもしかり。
そういったポイントはまさに鬼門。
自身の裸足スキルの限界を見極めて回避、対処する必要がある。
裸足で走って足裏が「痛い」のは走りが間違っている。ガマンするのがコツという考え方はキケン。「痛いですか?」の質問に「刺激的です」と答える。「痛み」と「刺激」の違いは厳密運用すべき。足裏が刺激的なことはあっても、痛みを感じたなら既に「負け」。ゲームオーバー、ジ・エンド、出直すべき。
— man@3/3,4小江戸大江戸 (@man10000) 2018年3月7日
足裏の「痛み」をその日はじめて感じて足裏を確認し出血に気がつき、
サンダルを履いた小江戸の88kmが今の自分の限界だった。
自ら裸足の可能性にリミットセッティングすることほど心苦しいことはない。
しかし、今現状の偽りなき実感でもある。
「なになにそんなはずはない」
「人間は酷悪な路面サーフェースでも裸足で200kmの超ウルトラを走れる」と豪語、
有言実行してくれるニュータイプの登場を待っている。
もちろん自分も今後さらなる高みに至れた暁には懲りずに再挑戦する所存だ。