ハセツネを裸足で走って見えたもの

 

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あの衝撃的な一冊の本との出会いから5年。

 

 

ぼくは、のめりこむように裸足で走り続けてきて、

 

とうとう、

 

70kmの山道を夜通し裸足で走り続けられるところまでたどり着いた。

 

 

 

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成長したという感覚はあまりない。

「失われた走り」を取り戻した、

取り返したんだ、というのが実感だ。

 

 

人類がシューズという道具を発明し、依存するようなり、

足裏の痛みから解放されることとひきかえに失ってしまった、

こころの底から湧き上がるよろこびに満ちあふれた

永遠に走り続けられる全能感に包まれた「走り」

そいつを取り戻したんだと。

 

 

ハセツネ参戦が決まった時、実は迷いがあった。

裸足で走るか、ワラーチを履いて走るのか。

長距離のトレイルを裸足で走った前例はほとんど聞いたことがなかった。

同様に裸足でハセツネを完走した人もこれまで誰一人いなかった。

 

 

 

「前人未踏 」の前に尻込みする弱気な自分のこころに、

長谷川恒夫氏のこの言葉は何度も何度も突き刺さってきた。

もはや「裸足で走る」ことはこの5年の間で完全に自己表現の一部となっていた。

 

そして富士登山競走をワラーチで完走したときのあの不全感を思い出していた。

 

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もう安穏と履物を履いて楽しむランには戻れない、

その中からは決して「生の実感」を得られない、

そういう行き着くところまで、

自分は来てしまっている…

そんな諦観の中、

いつしかハセツネを裸足で走る覚悟は揺るぎないものとなっていった。

 

夏に裸足で甲斐駒黒戸尾根の往復を存分に楽しめた経験もこころの支えになっていた。

 

 

 

そこに功名心や自己顕示欲が全くなかったといえばウソになるだろう。

しかしそんなことよりも、むしろ失敗した時のバッシング、

他の裸足仲間に与えてしまう影響を危惧することのほうが大きかった。

「それみたことか。裸足なんかで走るからだ」

「裸足キケン」のそしりを受けることは絶対に避けなければならない事態だった。

 

いや、そんなことは実はどうでもよかった。

純粋に、裸足で大地とともにトレイルを走ることのたのしさ、よろこびへの期待感。

これが一番大きな原動力だった。

 

 

裸足で奥多摩の山々を全身全霊ひたすら走り続ける。

そんなことを想像するだけでひとりでゾクゾクワクワクしている自分がいた。

 

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 雨上がりのぬかるんだトレイルを奇声をあげながら走る。

時に滑って転んでドロドロになってケラケラ笑う。

また立ち上がって走り続ける。

一緒に長旅をともにしているランナーと話しをする。

その瞬間、瞬間をいとおしみ、没入することで、

しずかにしずかにエネルギーがたくわえられていく。

気が付くと日も暮れてあたりは真っ暗になり、そして霧が出てくる。

木立の隙間から時折月が見える。

ライトをつけてなお延々と走り続けるが、足元はよく見えない。

時計をもっていないから時間もよくわからない。

それでもトレイルを全身で感じながら、

一歩一歩、適切な接地となるように足をさばいて淡々と差し出していく。

 

 

真っ暗の闇の中、ものすごいスピードで山を駆け降りて、

他のランナーを追い抜く、

上りでぐいぐいと他のランナーをパスして隊列の先頭を引っぱっていく、

自分でも信じられないほどの力がほとばしる瞬間が訪れるたびに、

レオナルド・ダビンチの

「足は人間工学上最高の傑作であり芸術作品でもある」

ということばを思い出していた。

 

そんな「裸足蜜月」な時間はずっとは続かず、

やがて下りが増え足裏の神経入力過多による限界が訪れ、

歩く時間が次第に長くなってきた。

そんな厳しい局面でも、足裏の感覚を研ぎ澄ませ、山のチカラを借りさえすれば、

集中を切らすことなく歩き続けることができた。

 

 

長いような、一瞬だったような、

時空がねじれた不思議な一晩を山の中で過ごした。

 

そんな「官能の長旅」を終えて待っていたのは、

各方面からの怒涛の驚嘆と称賛の嵐だった。

 

そのたびに繰り返してきたが、

ダビンチの言葉を待つまでもなく、

すごいのは「人間の足」であり、

誰もがみんな、それぞれが持ち合わせたスピードの範囲内で、

「ハセツネを裸足で踏破できる」

少なくともそのポテンシャルを秘めているのだ。

それがなにより「すごい」のだと。

 

 

シューズの中で眠っているそのチカラを目覚めさせるのか。

そのままシューズの中で永遠に眠らせておくのか。

ハセツネ以降、

それを目覚めさせようとするランナーの胎動がたくさん聞こえてくるようになった。

 

人生は長いようで実は短い。

あたかもロングトレイルの様に。

 

 

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