はだし富士登山駅伝 その1
人間には2種類がある。
宝物を見つけた時「自分だけの秘密」にしたい人と「誰かと分かち合う」人とが。
2年前、富士登山競走を裸足で完走した。
そのとき全身全霊で直感したことは「全ての人間はその人固有のスピードで富士山を裸足で登ることができるよう、人間の足は生まれながらにデザインされている」ということだった。
結果を誇示するような気持ちは微塵もなくただ、ただ純粋に心からこの素晴らしい体験を一人でも多くの人とシェアしたい。
そんな思いだけがそこに残っていた。
ブログや各種SNSでその体験、そこまでの過程を書き、次のチャレンジを目指す仲間と共有した。
そして自分自身もさらなる挑戦をしようと考えていた。
また、次はみんなで同時にその思いを共有増幅できる富士登山駅伝にチャレンジしよう。
大会直後はっきり決意し、仲間にも帰りの車の中で明確にそう話していた。
そんな中、寝耳に水な情報が飛び込んできた。
富士登山競走大会当局が裸足、褌禁止のレギュレーションを新たに加えたのだ。
裸足、褌で走ったのは私をおいて他にはいない。
理由として「公序良俗」の一文があった。
何かトラブルを起こしたというわけではない。
無論、怪我をして救護されたわけでもない。
やり場のない理不尽な思いと、納得のいかないどうしようもない諦めの気持ちを抱え、大会へ自らの裸足、褌が霊峰富士を敬服した日本の伝統文化に根ざした極めてスピリチュアルな行為であることを説明し、不服申し立てを行なった。
しかし互いの主張は平行線を辿った。
https://twitter.com/man10000/status/1023069852536197120
https://twitter.com/man10000/status/1028571413794324480
すでに次年の大会エントリーは決まっていたため、新しいレギレーションに従い妥協折衷案的産物の草鞋、白行衣で走ることとなった。
完走はしたものの前年の裸足よりも不全感強く後味苦い屈辱の大会となった。
そしてあれほど夢中に4年の歳月をかけて準備没入した富士登山競走にはもはや何の縁も魅力も感じなくなっていった。
その一方で行き場を失った情熱は、そっくりそのまま2年前より温めてきた富士登山駅伝参戦に注力することで昇華されていった。
理不尽をエネルギーに一気に舵を切ることができたのもある意味運命だったのかもしれない。
誰もが鼻で笑った「裸足で富士登山駅伝なんて無理、あり得ない」に挑戦するには、それ相応の勢いがどうしても必要だったから。 (その2に続く)