裸足とワラーチの近くて遠い関係

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ワラーチはシューズと裸足をつなぐかけ橋。

 

もっとも裸足に近い履物であり、

裸足だった人間が、なんらかの要請で作り出した道具の一つ。

それだけにすぐに裸足にもどっても違和感が少ないし、

シューズからいきなり裸足になるよりはギャップが少ない。

 

シューズからワラーチを履きはじめた人には、

自分もそうであったように、

いずれ、あるいは同時進行で裸足の所作(歩き、走り)を会得してほしいし、

そうあるべきだと思っている。

 

しかし、現実は違う。

シューズからワラーチに移行しても裸足からなにも学ばず、

そこでほとんどの人がワラーチに止まってしまう。

 

「裸足は難しい、無理だ」と。

 

裸足に難色を示すワラーチストは、

シューズテイストなワラーチを好み、

シューズライクな走りが可能な、

ワラーチを好む。

 

やがて、本末転倒にシューズランナーの様な種類の故障をしはじめる。

 

シューズ→ワラーチときた以上は、裸足に親しまなければ、

ワラーチを乗りこなすことは難しい。

ワラーチの元祖、メキシコの走る民、ララムリたちの走りの基礎が、

裸足にあることを考えれば、

道具だけ真似てみても駄目なのは、当然の道理である。

 

ワラーチの様に裸足で走ることはできないが、

裸足の様にワラーチで走ることはできる。

逆もまた真なりではない。

 

私はワラーチでフルマラソンをサブ3していい気になっていたが、

40km地点で裸足ランナーに抜かれ鼻をへし折られた。

そこから本格的に裸足で記録を狙いはじめたが、

ワラーチで培った走りのほとんどが、

裸足では ほとんど役に立たなかった。

いまだにワラーチでの記録を抜けないでいる。

そしてあらためて裸足の走りを確立してゆく必要があった。

 

 

それまでもワラーチと時々は裸足で走っていたが、

以降ランニングの裸足:ワラーチ比率をどんどん上げて、

現在では走行距離のほとんどを裸足で走っている。

いまとなってはこの「無限走力」にしか関心はない。

 

 

裸足ランのおもしろさは、個々人のレベルで純粋に質だけを追求できるところにある。

 

 

この違いを実感できる場がある。

それが毎年、裸足の聖地飯能で行われる、

飯能ベアフットマラソン、全日本裸足ラン選手権だ。

あそこでのリザルトはこの現実をひりひりと実感させてくれる。

速いだけでは勝てない。

強さも兼ね備えていないと勝てない。

しかも単なる勝負だけでは終わらない、武士道的な雰囲気がそこにはある。

 

 

来年、たくさんのワラーチストが裸足で聖地に集まることを夢想している。