ゆっくり走ることの難しさ
ジョグ、ジョギングという言葉は極力使わない様にしている。なぜなら言葉からイメージする走りがあまりに粗悪すぎるからだ。なのであえてスローランニングと言う様にしている。裸足ランニングの第一人者であるケン・ボブもジョグ(jog)という言葉は「打ち付ける」という意味があるから使わない方が良いと言っている。
多くの一般ランナーの緩走は、無意識に姿勢を崩して疾走に必要な筋肉をことごとく休ませた、およそ速く効率よく走れるフォームとは無縁の走りに終始していると思う。
実際、街中でいわゆるジョギングをしているランナーを観察すると、そのほとんどが厚底のシューズで足をアスファルトに打ち付けたり、こすったり、あたかもシューズのクッション性、耐摩耗性を確かめるかの様な走りをしている。
今日 「ジョグで徹底的にスピードの出せるフォームをつくる」こと等のトレーニングを行うことで4ヶ月で5000mを16分台で走れるようになるという、この記事を読んで考えて込んでしまった。
http://blogs.yahoo.co.jp/gosen1207/33525151.html
方法論としては全く合理的で素晴らしいのだが、 果たしてどれだけのランナーがジョグのスローペースの中で速い走りの動きを作ることができるのだろうかと。
「ジョグで速く走れるフォームを作る」これが一番難しい。疾走の動きをスローモーションに落とし込んで練熟させることだとするならば、速く走れる理論あるいはイメージ、ある程度の速く走れた経験がベースにないと、単なるジョグの為のジョグに陥るだろう。
— man@5/17全日本裸足ラン選手権 (@man10000) 2015, 4月 15
走りと歩きは同一線上の動作か否か。
疾走の動きをスローダウンしたジョグなのか。
歩きを速くしたジョグなのか。
疾走の時の質的部分をジョグで再現するのは言うほど容易くはない。
— man@5/17全日本裸足ラン選手権 (@man10000) 2015, 4月 15
そもそも走りを普段の歩きの延長線上に捉える走りと運動会の全力疾走の延長線上に捉える走りとでは、動きがまるで異なる。多くの市民ランナーはウォーキングの延長線上でランニングをはじめているので前者の走りが圧倒的に多いと推測する。
ただ楽しむだけでなく、より速く楽に遠く永く走り続けようと突き詰めて考えるなら後者の視点がどうしても必要になってくる。
裸足ランで疾走はできても緩走すると足裏が痛くて続かない時期があった。疾走時の効率の良さ、速さを無意識から意識化し、一つ一つスローに落とし込み試行錯誤した結果、ようやく裸足ランの緩走でも足裏が痛まなくなった。
自分の場合は「裸足ジョグ」から「裸足スローランニング」に意識を変化させ、動きがかわった時、はじめてこのブレイクスルーが引き起こされた。
一般にはゆっくり走ることより速く走ることの方が難しいとされがちだ。しかし実はゆっくり正しく走ることほど難しいことはない。
遠く、速く、果てしない究極の走りを求めるには、裸足で緩急自在に走れるようになることが、遠回りの様で実は一番の近道なのではないかと考えている。